【2001年】
初頭 埼玉大学教育学部内にてウラニーノ結成。
ボランティアサークルの新歓コンパに新入生のふりをして参加した当時2年生の山岸が新入生の小倉に出会い、バンドに誘う。ベースは別の人に声をかけたが断られ、小倉の猛反対を押し切ってピストン大橋をベーシストとして大抜擢。当初はボーカルを加えた4人編成だった。
3月 初ライブを行う。その後、地元埼玉のライブハウスを中心に、マイペースな活動を始める。

【2002年】
6月 活動休止(全員が教育実習)

【2003年】
1月 前ボーカル脱退、現在のメンバー編成となる。
8月 ピストン大橋が勝手に応募していた埼玉県鴻巣市「クレアこうのす」のバンドコンテストにてグランプリ受賞。
11月 ピストン大橋が勝手に応募していた新星堂バンドオーディション「CHANCE!」全国大会にてグランプリ受賞。初の主催イベント「ウラニーノ学園 授業参観日」を大宮Heartsにて開催。

【2004年】
3月 ファーストミニアルバム「幸せ橋の向こうがわ」を消えた村長レコードよりリリース。レコ発ライブツアー「村長を探して〜九州編〜」を行う。インディーズにあるまじきVIPな旅をしてしまい、新星堂オーディションの賞金を使い果たす。
5月 大宮Heartsにてツアーファイナルイベント「ウラニーノ学園 避難訓練」を開催。防災頭巾を被って大宮の街中を駆け回る。
7月 ドラムス小倉範彦作の漫画本「ウラニーノ的ヘボ漫画」完成。ライブ会場で無料配布を始める。手配りで6,000冊を配り切る。電車の網棚や病院の待合室などで同漫画の目撃情報が相次ぐ。
8月 セカンドアルバムのレコーディングが埼玉県熊谷のサンプロにて始まる。
9月 「レコ発先走り"ほぼ"全国ツアー〜進め、ヘボロック〜」が始まる。全国22本のツアー。
11月 MINAMI WHEEL 2004に出演。

【2005年】
1月 「やぶ医者とわたし」レコ発直前"ほぼ"全国ツアーが松本aCよりスタート。全38本。
4月 セカンドミニアルバム「やぶ医者とわたし」リリース。
7月 FM宮崎にてラジオレギュラー番組「ウラニーノ ヘボロックアワー」が始まる。 埼玉県深谷市七夕まつり、熊谷うちわ祭り、高知県・鏡川まつりなど各地のお祭りに出演。 高知ではアニソンの帝王、水木一郎さんと対バン!
9月 六本木morph-tokyoにて初のワンマンライブ「六本木って埼京線で行けるん!?」を開催。終演後、当時素行の悪かったピストン大橋の断髪式をステージ上で行い、満員のお客さんの前で丸刈りに。
11月 「ウラニーノ ヘボロックアワー」がFM大分、FM鹿児島、FM愛媛、FM山口、Kiss-FM神戸、 FM愛知にもネットを拡大する。山下久美子さん、森田健作氏(現千葉県知事)など驚愕の超大物ゲストが話題になる。 ラジオオンエア地域など8カ所へのライブツアー「ヘボロックアワー普及ツアー」を行う。 名古屋HeartLand Studioにて主催イベント「ウラニーノ学園名古屋分校」を開催。
12月 地元・大宮Heartsにて2度目のワンマンライブ「101本目のプロポーズ」を開催。終演後にピストン大橋の彼女を本気で募集。「バンドマンにあるまじき企画」として各方面から叩かれる。 大晦日、埼玉県深谷市の円能寺の境内にて年越しライブ。除夜の鐘の前にお墓に爆音を響かせる。

【2006年】
4月 六本木morph-tokyoにてワンマンライブ「サードアルバム完成記念〜没曲鎮魂祭〜」を開催。ボツ曲を中心に構成された前代未聞のセットリストで異様な空気を作り出す。サードアルバム完成と銘打ったものの、アルバムが未完成であることを発表。客席からブーイングが起こる。
9月 サードミニアルバム「情熱の温度」リリース。大宮Heartsよりレコ発全国ツアーがスタート。
11月 六本木morph-tokyoにてツアーファイナル・ワンマンライブを開催。サポートギタリストにコサイアキシ氏を迎える。また、前説にはなぜかFM宮崎のディレクター藤森氏を起用。このためにわざわざ宮崎から来てもらう。
12月  「ウラニーノヘボロックアワー」の放送が終了となる。最終日の打ち上げの勢いでC.C.レモンホールワンマンライブが決まる。

【2007年】
2月 「ヘボロック青春三部作 完結記念ツアー」と題し、全国16本のツアーを行う。
3月 六本木morph-tokyoにてツアーファイナルワンマンを開催。渋谷C.C.Lemonホールでのワンマンライブ「手売りでC.C.レモン」を発表。
6月 プロデューサーに佐久間正英氏を迎え、4thアルバムのレコーディングがスタートする。 大阪2nd Line、名古屋HeartLand Studioにてウラニーノ学園が開催される。  「手売りでC.C.レモン半年前ワンマン」を六本木morph-tokyoにて開催。渋公チケットの手売りも本格的に始まる。
10月 4thミニアルバム「友達の彼女」リリース。レコ発全国ツアー「渋公チケット手売りの旅」が始まる。ファイナルのC.C.Lemonホールまで全25本に渡るツアー。
12月 渋谷C.C.Lemonホールにてワンマンライブ「手売りでC.C.レモン」を開催。大方の予想を大きく裏切り1階席が完売、1218人を動員する。

【2008年】
1月 大舞台の後の「燃え尽き症候群」が懸念されたが、何事もなかったかのようにマイペースにライブを再開。
3月 突如として沖縄の琉球放送の番組内にて、ウラニーノと好色人種KAYOによるコーナーが始まる。(2009年3月まで放送) 結成7周年記念イベント、「Queまでそして明日から」を下北沢CLUB Queにて開催。
4月 新たな音源の制作の為、レコーディングが始まる。引き続きプロデューサーは佐久間正英氏。
10月 東京・高知・名古屋ワンマンを含む「ウラニーノメジャー大作戦"ときどきワンマン"ツアー」が始まる。下北沢CLUB QueにてC.C.レモンホール以来となるワンマンライブ、「やっぱり手売りでCLUB Que!?」を開催。
11月 MINAMI WHEEL 2008に出演。
12月 高知X-pt.にてワンマンライブ「前進する長宗我部」を開催。 名古屋HeartLand Studioにてワンマンライブ「尾張よければすべてよし」を開催。

【2009年】
2月 ピストン大橋マネージャー就任記念イベントを下北沢CLUB Queにて開催。メジャーアーティストにしてメンバーがマネージャーを兼任するという異例の展開に。就任演説はあまりの滑舌の悪さでほとんど聞き取れなかった。
3月 結成8周年記念ワンマンライブ「Queまでそして明日から vol.2」を下北沢CLUB Queにて開催。7月にEPICレコードジャパンからのメジャーデビューが発表される。
7月 EPICレコードジャパンより5thミニアルバム「ランドリーとワールド」をリリース。「ランドリーとワールド」レコ発ツアー〜夏フェスと被ってます〜、全15本。
10月 MINAMI WHEEL 2009に出演。ウラニーノ出演時、会場は満員となり入場規制がかかる。
11月 下北沢CLUB Queにてメジャーデビュー後初のワンマンライブ「遅れてきたルーキー」を開催。
12月 EPICレコードジャパンより1stシングル「終着駅」をリリース。

【2010年】
3月 岡山CRAZY MAMA2にてワンマンライブ「100人入らんかったら当日キャンセル」開催。来場者が100人に満たなかった場合ライブを行わないという前代未聞の企画に142人を動員。無事にライブが行われる。
広島で開催されたライブサーキットMUSIC CUBEに出演。
香川で開催されたライブサーキットSANUKI ROCK COLOSSEUMに出演。ウラニーノ出演時に満員の入場規制となる。
4月 結成9周年記念ライブ「Queまでそして明日から vol.3」を下北沢CLUB Queにて開催。
5月 新潟CLUB RIVERSTにてワンマンライブ「故郷に無理やり錦を飾る」を開催。山岸の故郷新潟で無理やり錦を飾る。ピストン大橋の父方の実家も新潟だが、親族は一人も来なかった。
EPICレコードジャパンより2stシングル「ダンボールに囲まれて」をリリース。初回限定盤には楽曲の世界観を基に製作されたショートムービー「ダンボールに囲まれて」のDVD付き。
6月 メジャー1stフルアルバム「World end Happy end」をEPICレコードジャパンよりリリース。初回限定盤には小倉作ウラニーノ的ヘボ漫画(60P)つき。2日後にレコ発ワンマンライブ「発売2日後!なるたけ聴き込んできてください」を下北沢CLUB Queにて開催。レコ発ツアースタート(全15本くらい)
7月 福岡ROOMSにてワンマンライブ「ぼくたちいくらですか?」開催。チケット代はライブを観た後に決めてもらう投げ銭方式のライブ。結果、平均金額は2312円というリアルな金額に。
松山SALON KITYにてワンマンライブ「吾輩は無茶である」を開催。
高知X-pt.にてワンマンライブ「150人入らなかったらカラオケ大会!」を開催。来場者が150人未満だった場合ボーカル山岸は出演せずに来場者によるカラオケ大会…という無謀な企画。一時は絶望的と言われたが奇跡が起こり167名を動員。無事にライブが行われる。同ライブへ向けての必死の宣伝活動のさなか、テレビ高知の音楽番組「MUSIC MOVE」にてピストン大橋の携帯電話の番号とメールアドレスがテロップつきで公開される。
9月 「私たちの主題歌」が内山理名さん主演映画「遠くの空」の主題歌に。山岸が同作に出演、まさかの俳優デビュー。
12月 高知X-pt.にて「ありがとう高知!大感謝祭」を開催。バンド史上初となるファン感謝祭を高知にて開催。変名バンド「はりまやチェリーボーイズ」がデビュー。

【2011年】
3月 結成10周年記念ワンマン2DAYS「渋谷はちょっと苦手」をマウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャーにて開催。
6月 結成10周年記念企画第二弾として、「毎月ワンマン」を決行。1本目「渋谷はまだまだ苦手」をマウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャーにて開催。
7月 毎月ワンマン「ガチニーノ VS レアニーノ」を岡山CRAZY MAMA KINGDOMにて開催。それぞれガチ曲とレア曲で構成されたセットリストの2部構成ライブ。レア曲がマニアック過ぎてすごい空気に。
8月 毎月ワンマン「100人入らなかったらボーカルピストン大橋」を名古屋ハートランドスタジオにて開催。107人というギリギリの動員で危機一髪。掲示板が荒れる。
9月 毎月ワンマン「収穫の秋!新曲祭り」をマウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャーにて開催。いつになく楽曲重視の大人なライブに、「ピストン大橋さん具合でも悪かったんですか?」と心配する問い合わせが多数。
10月 毎月ワンマン「ウラニーノ新喜劇!ピストン大橋座長公演」を大阪十三ファンダンゴにて開催。新喜劇の聖地大阪でガチのオリジナルコントを披露。ロックバンドの域を超えたパフォーマンスで話題に。
11月 毎月ワンマン「今夜は大漁!漁師の長男」を高知X-pt.にて開催。衝撃のオリジナル曲「縦笛ハンター」を引っさげてはりまやチェリーボーイズがゲストで再登場。
12月 毎月ワンマングランドファイナル「ウラニーノ新喜劇 アゲイン」をマウントレーニアホール渋谷プレジャープレジャーにて開催。10周年year集大成となるファイナルでなぜか再び新喜劇。新作コント2作を披露。
出会ったころの3人。大学の校庭にて撮影
結成初期のライブの様子
新星堂オーディションでまさかのグランプリ!全国1500バンドの頂点に…。豪華賞品を手にしたウラニーノ。
2004年 さいたま見沼にて撮影
ウラニーノヘボロックアワー出演時の森田健作氏
ツアー中のウラニーノ(高知 鏡川にて)
2006年11月ツアーファイナルワンマン
at 六本木morph-tokyo
2007年12月22日C.C.Lemonホールワンマンライブ"手売りでCCレモン"より
2007年撮影